凡夫日報

36歳子育て僧侶の息抜きです

ユニフォームのちから

息子がスイミングに行っている時間、マクドナルドで読書をすることにしている。

家に帰っても30分もしないうちにまた迎えに出なければならない。

かといってスイミング内はほとんど座ることができない。

カフェに行くには時間もないしお金もかかりすぎる。

 

そうしてたどり着いたのがマクドナルドだ。

いつものようにマクドナルドについて、最近は席に座ってから注文をしている。

 

アプリからの注文ならPayPayが使えるし、並ばなくていい。

そうして席について注文し終わった後トイレへ行こうとすると

ちょうど店内に入ってきた高校生くらいの男の子とばったりとなった。

 

お互い完全に目が合って、僅かな沈黙の後に

「あ、前すんません」って感じでトイレに入ろうとしたら、
その彼は会釈とも無視とも取れないぐらいの反応をした。

 

まぁ最近の高校生はそんなもんだろうな、と思っていったら

そのままスタッフルームへと入っていったのだ。

いやアルバイトやったんかい!と思わず心の中でツッコミを入れつつトイレに入った。

 

そこから注文した品を受け取り、30分ほど読書してからお店を出ようとすると、

例の男の子がマクドナルドのユニフォームに身をつつみ、

最初の出会いからは想像できないような笑顔で

「ありがとうございました!」と挨拶してくれた。

 

分かるぞ。少年。

ユニフォームは偉大だよな。
ユニフォームを纏えば単なる個人ではなく大きなものの一部になる。

一部でありながら、その看板を背負った全部でもある。

 

我々も袈裟衣のユニフォームを着る。

するともう信号無視もできない。

 

役職が人を作るというが、ユニフォームも然りといつも思う。

 

周りからそのユニフォーム込みの人格で見られている感覚がある。

でも誰だって様々なユニフォームを着て生活をしている。

 

だから警察官が制服でコンビニいってもいいし、

救急隊員がコンビニ行ってもいいじゃないか。

 

きっといつかお坊さんが袈裟衣を着て

病院内とか焼き肉屋とかに普通に入られる日々が来ることを

願っている。

3記事坊主

三日坊主ならぬ三記事坊主で止まっていた

 

いろいろ生活していると

「あ、これ記事にしよう」みたいな瞬間や

「これ記事にできるな」みたいなひらめきはたくさんあるのに

すぐ忘れる。

 

すぐ忘れるから思いついた瞬間にメモを取ることが大切!とは思うものの、

メモを取ることを忘れてしまう。

・・・というよりメモを取りづらい状況ってよくひらめく気がする。

散歩中、運転中、トイレなどなど。

 

腹が立つことに、「何かアイデアは浮かんだ」って事は覚えてる。

だったら全部覚えててもいいのになぜか肝心の内容だけ忘れる。

 

夢だってそう。起きた瞬間に「めっちゃおもろい夢みた!」と思って

人に話そうとすると「めっちゃおもろい夢みた」事しか覚えてない。

 

この現象って何か名前あるのだろうか。

どうせなら全部忘れてくれたらいいのに、変に覚えてるから美化してしまって

猶更悔しくなる。

「良いアイデア浮かんだ!」とか「おもろい夢見た」ってのは自分の感動だから覚えてるのだろうか。

だとしたら夢もアイデアも自分の感情の外にあるのか。

だからアイデアが降ってくるみたいな表現があるのだろうか。

降ったのなら積もってくれよとも思うが。

 

積もってなからアイデアは降ってくるというより宙を舞っているような気がする。

たまたま目の前に来た時に捕まえないと、

「珍しい蝶を見たんだ!ほんとだよ!捕まえられなかったけど…」

みたいな状態になる。

感動は覚えているけど細かいディティールは思い出せない的な。

 

ともかくメモを持ち歩こう。

覚えてたら。

お寺の子は運動会がきらい

これもお寺の子あるある。

 

お寺って基本的に土日は法事で埋まっているので、

土日の子供の行事には参加できません。

 

僕自身、小中高の学校の運動会に両親が来たことはなかったし、

スイミングの大会なども同じでした。

 

大学に入って同じ境遇の友人がたくさんできると、そのことを根に持ってる人は結構多くて、

学校行事に両親がいない

家族旅行に行ったことない

この2点がすごく嫌でお寺を継ぐのが嫌になっていた友人はたくさんいます。

 

その反動なのか時代なのか

今は意地でも家族旅行や運動会への参加を強行するお坊さんが増えました。

「増えたと思う」ではなく「増えた」と確実に言えるくらい意識している。

 

ある友人はクリスマスにみんながプレゼントをもらう中自分だけ何もなかったことがとてもコンプレックスで、わざわざクリスマスに入籍して結婚記念日として12月25日にパーティーを開いている友人もいます。

 

他にもお釈迦さまが悟りを開いた記念日を「成道会」というのですが、これが12月8日なのでここを25日まで引っ張ってる先輩もいます。

 

とにもかくにもそんなワケで僕も息子の運動会には参加できないだろうなと諦めてたんですけど、、

 

コロナですよ。

 

これで全てが変わりました。

1日かけてあっていた運動会が学年別になり、尚且つ1時間内で終わるようになりました。

これなら行ける。

 

おかげで今のところ長男も次男もほぼ全部参加することができています。

で、

平日は自由がきくことが多いので、ほとんど私が子供の行事には行っているのですが、

そうすると周りから「コイツ暇なのか?」と。

引いてはこの印象がお寺業界全体のイメージへと繋がって

「寺ってなんかチョロそうよね~」

ってことになってしまわないか密かに危惧するのでした。

偶然重なることはよくある

人生36年も生きてきて、ある程度生活ルーティンが定まってくるといろんなところに自分ルールみたいなのができてきます。

 

読書もその一つで、決まった時間に本を読む人や決まった場所で読む人も多いと思います。

 

僕の場合は場所は時間は常にバラバラですし、むしろ固定することは不可能です。

でもそれなりに段々とできた形があって、

仏教書は紙の本を購入して、

いろんなジャンルの雑読をするときは電子書籍で、

ビジネス書は音声メディアで、

話題の本とか小説は図書館で予約する、

 

今書いてて気が付いたけど、上三つがAmazonのサブスクやんけ・・・

GAFA怖え。。。

なんか、三つ契約してたら割引みたいなサービスしてくれないかな。

 

それはさておき

 

そんなシステムで読書をしているので

常に

3~4冊を並行して読んでいる形になります。

そうすると時々読んでる本同士が繋がるということがあります。

 

例えば今年の載初に叶姉妹の本を読んでいたのですが、同時に阿佐ヶ谷姉妹の本も読んでました。

 

かたやクリスマスツリーに現金がパンパンに入った封筒をたくさんひっさげたプレゼントをもらい、かたやこたつを奪い合いながら眠る。

もうどっちも非現実に見えました。

 

で、つい昨日まで読んでいたのが「いつかたこぶねになる日」という漢詩の日記のような本で、著者は俳人なのでひとつひとつの言葉とか感性がきれいで、感性豊かな人はこんな世界に住んでいるのかと感心しながら読んでいたのですが、同時に「ウケる日記」も読んでいました。こちらは「一体どうやったらこんなおもろい文章かけるんだ」「なんちゅー着眼点や」って内容ばっかりで、もう俗っぽいことこの上ない(具体的には下ネタのこと)本で、

そんな両極端の日記本を読んでいたら唐突に自分も日記を書いてみたくなってこの日記ブログを始めてみたのでした。

黒歴史の記録残すのか問題

日記を書こうと思い立ってから思い出したことがある。

 

高校生のときにつけていた日記だ。

 

僕は大学は仏教の大学に進んだわけだが、その際の推薦入試は英語+小論文だった。

僕は英語がからっきしダメだった。

お坊さんだから英語がダメなわけではない。むしろ英語話せるお坊さんなんて沢山いる。

単純に僕が勉強ができないタイプだっただけだ。

 

しかし僕には秘策があった。

倍率は確か1.8倍くらいで英語と小論文の200点満点中合格ラインは130点ぐらいと言われた。

当時は入試はマークシートだったので4択。

つまり出鱈目に回答しても25点は取れる可能性が高い。

 

つまり小論文で100点をとればほぼ合格できる算段だ

 

更に集合理論というものを使えば回答の選択肢のみで問題を考え、正答率を50%近くまで上げる方法も勉強していた。(集合理論についてはググってください)

 

もうこれだけで僕がどんな人間か分かってしまいそうだが、

英語のストレートな勉強を諦めていた僕はこの集合理論と小論文に全てをかけることにしたのだ。

 

それで英語は集合理論の勉強をするとして、

小論文対策でよく紹介されていたのが日記だったのだ。

文章力を鍛えるにはともかく日記がいいとどの参考書にも書いてあった。

 

そんなワケで、高校2年の夏ごろから高校生の間ノートに日記をつけていた。

この習慣は割と続いて、大学生になってからも手帳に4~5行ぐらいの日記をつけ続けたのだが、高校生のころに書いていた日記は

 

はっきり言って黒歴史以外の何物でもない。

 

だって「クラスのかわいい子ランキング」とかそんなのばっかりだった気がする。

 

その日記帳の存在を思い出したのだ。

アレ、どこ行ったんだろう?

 

捨てた記憶はない。どこかにあるはずだ。

あの日記を見られたら一気に苦行僧になってしまう。

どんな修行も生ぬるく感じるくらいの精神ダメージを受けてしまうだろう。

ウチそんな宗派じゃないのに。

 

そんなものが家のどこかに眠っている。考えただけでも恐怖だ。

これはマズイ。早急に対処せねば。

 

さっさと捨ててしまえばよかったんでしょうけれど、

割と捨てれない性格なんです。ついついこれも思い出ってなっちゃうんです。

 

一番リアルな自分の思い出。

子供の写真とかで、ばっちり撮れた写真もいいけれど、

その前後でふいに写っためちゃくちゃナチュラルな様子があったりします。

写真的には構図もピントもぐちゃぐちゃで絶対いらないけど、

なんだか妙にリアルで生々しくてかわいいので全然写真が消せないことに似ています。

 

ただ人に見せられない点を除いては。

 

見つけてもきっと今は捨てない。

でもいつかは絶対に捨てる。

けどその爲にも安心できる手元に置いておきたいと、思い出したついでに決意したのでした。

お坊さんのスキマ時間

はじめまして。

イチギョーと申します。

お寺に生まれてお寺に育ちました。

現在36歳で、3歳と7歳の育児に日々奮闘中です。

 

家族構成は私と妻、子供が二人、私の両親、ペットのカメ、ヘビ、クワガタ、メダカ。

爬虫類好きなんです。

 

お坊さんってよく誤解されてますけど、

結構ダラダラと激務なんですよ。

ときどき「お経読むのが仕事でしょ?」って言われますけど、

実際はお経を読む仕事は全体の1~2割程度なんです。

経理や掃除、電話対応や来客対応、お説教やその準備、雅楽、各種研修会や勉強会、

そしてお寺は組織で動いていて、その中で配属される部署の仕事(これが結構多い)

などなど、、、

 

お寺に入って以来スケジュールを記録してますが、

年に何も予定がない日って10日ぐらいです。

 

家族旅行になかなか行けないのもお寺あるある。

 

とまぁいきなり愚痴になりましたが、

「ダラダラと激務」って書いたのは、電話対応や来客対応は24時間なのでなかなか外出はできませんが、各事務仕事は自分のペースなので合間に中途半端な時間が結構あります。

この24時間半仕事状態というのは結構ストレスなんです。

 

子供たちの寝かしつけの間仕事ができるように寝室にPCをセットしました。

 

そんなタイミングで日記でも書いてみようと。

何も気にしない日記がいいけど、それだとほんとの三日坊主になってしまうので

ここで初めてみることにしました。

 

別にありがたい話を書く気もないし、愚痴ばかりになるかもしれないしただの備忘録になるかも知れない。

 

誰に何を伝えるでもないただの凡夫の日報です。