黒歴史の記録残すのか問題
日記を書こうと思い立ってから思い出したことがある。
高校生のときにつけていた日記だ。
僕は大学は仏教の大学に進んだわけだが、その際の推薦入試は英語+小論文だった。
僕は英語がからっきしダメだった。
お坊さんだから英語がダメなわけではない。むしろ英語話せるお坊さんなんて沢山いる。
単純に僕が勉強ができないタイプだっただけだ。
しかし僕には秘策があった。
倍率は確か1.8倍くらいで英語と小論文の200点満点中合格ラインは130点ぐらいと言われた。
当時は入試はマークシートだったので4択。
つまり出鱈目に回答しても25点は取れる可能性が高い。
つまり小論文で100点をとればほぼ合格できる算段だ
更に集合理論というものを使えば回答の選択肢のみで問題を考え、正答率を50%近くまで上げる方法も勉強していた。(集合理論についてはググってください)
もうこれだけで僕がどんな人間か分かってしまいそうだが、
英語のストレートな勉強を諦めていた僕はこの集合理論と小論文に全てをかけることにしたのだ。
それで英語は集合理論の勉強をするとして、
小論文対策でよく紹介されていたのが日記だったのだ。
文章力を鍛えるにはともかく日記がいいとどの参考書にも書いてあった。
そんなワケで、高校2年の夏ごろから高校生の間ノートに日記をつけていた。
この習慣は割と続いて、大学生になってからも手帳に4~5行ぐらいの日記をつけ続けたのだが、高校生のころに書いていた日記は
はっきり言って黒歴史以外の何物でもない。
だって「クラスのかわいい子ランキング」とかそんなのばっかりだった気がする。
その日記帳の存在を思い出したのだ。
アレ、どこ行ったんだろう?
捨てた記憶はない。どこかにあるはずだ。
あの日記を見られたら一気に苦行僧になってしまう。
どんな修行も生ぬるく感じるくらいの精神ダメージを受けてしまうだろう。
ウチそんな宗派じゃないのに。
そんなものが家のどこかに眠っている。考えただけでも恐怖だ。
これはマズイ。早急に対処せねば。
さっさと捨ててしまえばよかったんでしょうけれど、
割と捨てれない性格なんです。ついついこれも思い出ってなっちゃうんです。
一番リアルな自分の思い出。
子供の写真とかで、ばっちり撮れた写真もいいけれど、
その前後でふいに写っためちゃくちゃナチュラルな様子があったりします。
写真的には構図もピントもぐちゃぐちゃで絶対いらないけど、
なんだか妙にリアルで生々しくてかわいいので全然写真が消せないことに似ています。
ただ人に見せられない点を除いては。
見つけてもきっと今は捨てない。
でもいつかは絶対に捨てる。
けどその爲にも安心できる手元に置いておきたいと、思い出したついでに決意したのでした。